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33年島人の会のメンバーの交流の場、また情報発信していくブログです。


by 33shimabito
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奄美新聞
手久津久の遺跡から南西諸島で初 完形の銅鏡発見!!_e0102574_1455520.jpg
手久津久の遺跡から南西諸島で初 完形の銅鏡発見!!_e0102574_14552113.jpg

喜界町の畑地帯総合整備事業における手久津久地区中増遺跡の発掘調査で、南西諸島では初めて中国産とみられる完形の湖州円鏡(銅鏡)が見つかった。それに伴い、2006年の調査で発見された銅片(城久遺跡群山田半田遺跡土坑墓2号)も佐波理(響銅)製の銅鋺の破片であることが発覚。いずれも南西諸島では初確認。どちらも当時は貴重な品だったこともあり、同町埋蔵文化財センターでは「どういう経緯で喜界島にわたってきたのかなど、わからないことはばかり。今後、より詳しく科学調査を進めていきたい」としている。

 中増遺跡で見つかった銅鏡(直径11・5㌢、厚み1・5~2㍉)は15年5月に伸展葬の土坑墓から出土したもの。同年9月4日の実見(京都国立博物館名誉館員の久保智康氏)により、銅鏡は12世紀代の湖州円鏡(中国産)と推測。16日には成分分析(蛍光X線分析)を実施した結果、出土事例の極めて少ない貴重な銅鏡であることが確認されたという。

 湖州円鏡の出土事例をみると、12世紀代に経塚=きょうづか=から出土する傾向が高く、南西諸島において完形品の出土事例はなかった。破片については、沖縄県の越来グスク遺跡、今帰仁グスク遺跡、フルスト原遺跡で計5点出土、同県稲福遺跡では六花鏡完形品1点が出土しているという。手久津久地内の遺跡からはほかにも銅鏡の破片が数点確認されており、奄美群島内で銅鏡の完成品が出土したのは今回が初めてとなった。

 出土した人骨も通常みられる伸展葬(足を伸ばした状態で埋葬)とは異なり、右手が背中を回り左手と重なるという稀な埋葬事例。11世紀前半から12世紀後半の熟年の女性であるとされ、銅鏡は腰骨のあたりで見つかったという。同センターでは、銅鏡が納められていたことと合わせて、「埋葬者がどういった人物なのかについては、遺跡全体の性格を考えるうえで重要な要素になる」としている。

 銅鋺は、銅鏡とともにこれまで同町内で出土したほかの銅製品とともに専門家が確認した結果発覚したもの。蛍光X線分析を行った結果、佐波理と呼ばれる銅鋺と同定された。見つかった銅鋺の破片は、口縁部の特徴などから平安時代前半(8世紀末~10世紀頃)のものとされ、これまでの出土事例をみると、公的機関やその周辺からの出土が目立つとされた貴重な金属容器。同センター係長の澄田直敏さんは「銅鋺とともに見つかったほかの副葬品は12世紀代のものと考えられる白磁合子などが出土しているので、喜界島に持ち込まれた時期や意味はわからない。ただ、位の高い人が使う器なので、誰でも持てるものではなかったはず」と語った。

 澄田さんは「まだまだわからないことばかり。銅鏡を包んでいたと思われる布の繊維(植物性)もさらに深く分析していきたい。また、人骨も掘り下げることでわかることがあるはず。今後も分析を進め、最終的にはセンターに展示する予定」とした。

 喜界島の遺跡から銅製品の破片がいくつも出土したことについて久保氏は、「琉球のグスク時代の状況とほとんど同じ。沖縄の中核的グスクを発掘調査すると、金属製品、とりわけ銅製品の破片が多数出土する」と指摘。一方、銅鋺については、「喜界島では極めて貴重な舶戴品だったと思われ、城久遺跡群を中心に、高麗のカムィ焼が多数出土することと呼応して、高麗との物質的あるいは人的交流を想像させる小破片と言える」としている。

 今回出土した銅鏡と銅鋺は、13日から同センターで展示される。期間は31日まで。時間は午前9時から午後5時まで。

# by 33shimabito | 2016-08-11 14:58

旧暦七夕天の川2016

喜界島観光物産協会
旧暦の7月7日七夕に島の夜空に浮かぶ天の川
旧暦七夕天の川2016_e0102574_10155049.jpg

# by 33shimabito | 2016-08-10 10:18
英ガーディアン紙が報じた“1961年1月の米本土での水爆落下事故”は、いまさらながらに、核兵器(原発と同材料)がいざ大惨事を起こした場合、どれだけの被害をもたらすかを教えてくれた。そのためか、日本のメディアも一応報道した。

しかし、冷戦時代の核兵器落下・紛失事故はこれだけではなく、後年、秘密解除されるアメリカ軍関係の事故だけでも世界各地で起きている。

日本でも、65年に奄美の海で水爆一個が海中に落ち、回収できないままになっているのを忘れてはなるまい。

今回、ガーディアン紙が報じた水爆落下事故は、日本も含め世界の大手メディアが後追いをした。この事故では四重の起爆装置の内、ひとつが起動しなかったため大惨事を免れたという。この水爆は広島に落ちた原爆の260倍の威力があり、爆発していれば事故現場のノースカロライナ州はもちろん、首都ワシントン、ニューヨークまで放射能災害がおよんだと見られている。

また、同様の核兵器の落下・紛失事故で実際に環境が汚染され、今なお居住不可能な地域が出来ている事故もある。

66年1月1日、スペイン南部パロマレス(Palomares)の村の上空およそ9000メートルで米軍B52戦略爆撃機とKC135空中空輸機が衝突した(この事故は昨年11月13日毎日新聞が報じているので知る人も多いだろう)。

この事故で搭載していた水爆4個が落下。そのうちの一個は地中海(700メートルの海底)に落ち、3ヶ月後に回収された。ほかの3個はパロマレス村の近くに落下。1個はパラシュートが開いて軟着陸したが、他の2個は起爆装置に使われる火薬が爆発。核爆発には至らなかったものの、爆弾が破損してウランとプルトニウムが2平方キロを汚染する事故となった。

米軍は地表の175トンの土(トマトを含む)を除去し、サウスカロライナ州のサヴァンナ・リヴァー(Savanna River)原子力施設に運び処理。その後、当時のフランコ軍事独裁政権はアメリカの意向に合わせるように安全宣言をして、パロマレス村では以前通り農業が行われていた。

しかし、2004年になってスペイン政府は事故の起きた地域の土地を買収し、一帯の放射能汚染調査をしたところ、30ヘクタールにおよぶ土地に500 グラムのプルトニウムが残っているとの結果が出た(場所によっては地下5メートルまでプルトニウムで汚染されていた)。

この事故の2年後(66年)の1月21 日には、グリーンランド北西部、チューレ(Thule)空軍基地近くの海氷上にB52戦略爆撃機が墜落炎上し、爆撃機が搭載していた水爆が破裂して飛散。一帯がプルトニウムで汚染された。

アメリカ政府は氷・雪7トン近くを9カ月かけて回収し、アメリカ国内の処理施設に運ぶが、海中に落ちた水爆は回収を断念。破裂した水爆は今も海底にあり、プルトニウム汚染を拡散させていると見られる。

(この事故を起こした爆撃機は、スペインでの事故と同じ型の爆撃機で同じ型の水爆だった。冷戦の真っただ中の当時アメリカ政府は、ソ連の核攻撃を案じ、核爆弾搭載のB52戦略爆撃機をソ連周辺に24時間上空に待機させるクロームドーム作戦を展開していた。しかし、この事故の後、アメリカ政府もさすがに危険性を重視し作戦を中止。さらにソ連との間で核戦争の危機を低減する方策で合意していく)

この事故で汚染除去や氷雪の回収に従事した先住民イヌイットの人たちなど1500人が被曝。冷戦終了後の95年の調査では、400人以上がガンで死亡していたことがわかる。除去と回収作業に従事した米軍兵士たちのその後は公表されていない。

読者に知っていて頂きたいのは、こうした核兵器紛失・落下事故(米軍の符牒は“ブロークン・アロー”)は、50年にアラスカからカナダにかけての地域にウラン型原爆を搭載したB36爆撃機が墜落して以来、10件以上起きているということだ。日本でも65年12月5日には、奄美本島の北東に位置する喜界島の南東およそ150キロ沖合で、米空母「タイコンデロガ」が水爆搭載の攻撃機を太平洋に落下させている。

タイコンデロガは、ベトナム沖での任務を終え横須賀に戻る途中に、1メガトンの水爆を搭載したA4機をエレベータで甲板に上げる途中、乗員とともに海に落下させた。現場は水深5000メートルあり、現在の技術では引き上げが不可能とのこと。この事故は1989年の米軍の秘密解除で明かになった。

一応、現場周辺の海域で放射能汚染を測定が行われ、パロマレスやチューレの事故のような放射能汚染は認められていないという。しかし。水爆容器の破損状況も不明で塩水による腐食の度合いもわからない。海底5000メートルでの高い水圧にいつまで水爆容器が耐えられるのか、将来どうなるかは不明だ。

# by 33shimabito | 2016-08-07 18:55
町と東京農大、包括連携協定_e0102574_713211.jpg
町と東京農業大学との包括連携協定の締結式が28日、東京世田谷区の東京農業大学アカデミアセンターで行われた。農学を専門に扱う大学と連携しながら、同町は離島でも農業で成り立つモデルを目指す。

締結式には、川島健勇町長を始め、父親が喜界島出身の上島義盛・世田谷区議会議長や締結を取りまとめてきた喜界島出身の同大学の豊原秀和名誉教授ら関係者12人が参加。川島町長と高野克己学長が調印を交わした。

あいさつにたった高野学長は、奄美では瀬戸内町に続いて2番目の包括連携地域で、これまでに400人を超える同大学の学生が実習生として参加していることも報告。「お互いギブアンドテイクで事業展開が進み、商品開発できるようにしていきたい」と意気込みを語った。

また、フィールドワークなど実学を重視する同大学への熱い気持ちを持っている川島町長は、喜界島は小粒でもきらりと輝く島。サンゴ礁の残骸から地球の温暖化を調査する研究所や白ゴマは日本一、花良治みかんなど味が良い物があると説明しながら、「産業は農業。農家の研究を進めて欲しい。智恵をいただきながら、6年後ぐらいには離島でも農業で成り立つことを日本のODA(政府開発援助)で見せたい。喜界島がモデルになれたらいいなと考えている。末永い付き合いをよろしくお願いします」と期待感を示した。

 東京農業大学の連携は企業等の団体が18団体で、地域連携は26自治体。喜界町は26番目の協定となる。

# by 33shimabito | 2016-08-03 07:02
8月7日(日)・26日(金)

東郷晶子 LIVE with Nagacho

会場:北参道ストロボカフェ

東京都渋谷区千駄ヶ谷4-3-10
ニューベリー千駄ヶ谷 B1

HP http://www.strobe-cafe.com/kitasando/

時間:7日(日)18:30 open/19:00 start
時間:26日(金)19:00 open/19:30 start

出演 東郷晶子・Nagacho

料金 3000yen +1Drink Order

問い合わせ:北参道ストロボカフェ TEL/03-3405-2005

電車でのアクセス

メトロ副都心線
北参道駅1出口より徒歩1分
JR山手線・総武線
代々木駅西口より徒歩7分
都営大江戸線
代々木駅A1出口より徒歩7分
お待たせしました!!今年2回めの東京ライブ!!_e0102574_1926418.png



# by 33shimabito | 2016-07-30 19:12